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前を向く

脇見恐怖症、対人恐怖症、視線恐怖症の私が書いた、私なりの神経質との向き合い方です。参考になれば幸いです。

人間関係と脇見恐怖症のはざまで 

ふと思ったこと

職場において必ずついてくるのが人間関係というものであろう。他人との関係は切っても切れない。人は生きている限り必ず人間関係というものに一度は必ず悩むものだと思う。

 

かくいう私も脇見恐怖症であるがゆえに、人間関係というものに大いに悩んだ。かなり頭を抱えたものだ。脇見恐怖症なので、初対面の人には脇見をしていないかバレないように毎回気を遣う。かなり気苦労をする。

 

そして、仕事の取引先などで相手が複数いる場合はかなり迷う。緊張を毎回してしまうのだ。どういうことかというと、1対3以上になると脇見を発動してしまう可能性がかなり高いからだ。人間誰でも緊張する。けれども、過度な緊張は脇見恐怖症、視線恐怖症を患っている人にとってはあまりよくない。

 

ある程度、視線のことも気にかけつつ仕事・商談を行うくらいがちょうどいいのではないか。過度の緊張状態に陥ると、どうしようもなく視線が右へ左へ飛んでしまう。そのたびに話し相手に不快な印象を与えてしまう。

 

私は顔見知りの取引先の人によく笑われたものだ。「また来た、気持ちの悪い奴。」という印象がかなりあったに違いない。

 

会社を辞める時も、送別会を行うのだが、社員が5人くらいしか集まらなかった。仕事でのミスはなかったのだが、気持ち悪い、気分が悪いという理由で人が全然来なかった。

 

本当に自分自身情けない。人からは好かれていないのだなということが痛感させられた。けれども、慣れというものは恐ろしい。私自身そうやって嫌われることに対して過度に反応しなくなったのだ。入社したての頃はあれほど人から嫌われることを恐れていた。他人は私の視線を気持ち悪いと思っているのだろうな。本当に他人に対して申し訳なさがいっぱいあった。

 

よくよく考えれば悪いことはしていない。ただ気持ち悪いという理由で差別される。それなら勝手に嫌っていればいいと開き直る考え方ができたのは後年になってからのことで、若いときはなかなかできない。

 

できなくていいのだ。人間完ぺきというものはあり得ないのだから。他人に対して過度に期待を求める。人間関係において、もっと楽になることができたらどんなにか素晴らしいことか。いろんな人がいる、見た目も違えば中身も異なる。それでいいのではないか。

 

そういうことを許せない人間も確かにいることは、私もよくわかる。けれども、私自身は差別をしない立場をとりたい。きれいごとを言うつもりは一切ない。世の中きれいごとで済ますことができるほど甘くない。

 

 

それでも私は少数派の方に味方をしたいと思う時が最近ある。これは自身が脇見恐怖症で神経症を患っていて、容易に超えられない壁を経験しているものから来るのだと思う。