読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

前を向く

脇見恐怖症、対人恐怖症、視線恐怖症の私が書いた、私なりの神経質との向き合い方です。参考になれば幸いです。

視線恐怖症との闘いの中で「死」を意識する

自分が脇見恐怖症で仕事をしなければいけない時、自身では状況を変えるということはどうにもできない。

 

今まで様々な治療法を書いてきて、一定の効果はあったもののやはり根治とはいかなかった。

 

その現実と向き合ったとき自分がどれほどみじめで情けなかったか。人と同じことができない、人から差別されるということがこれほどまでに、辛くしんどいとは経験して初めてわかったことである。

 

取引先から気持ち悪がられるとき、上司から指摘されるとき。すべて自分の脇見恐怖症が原因である。また、学生時代の友達が自分のもとを段々と離れていく。

 

視線恐怖症が原因で交友関係に自信が持てない。まさに負のスパイラルである。そこから抜け出せない。受け入れがたいが努力してもどうにもならない。

 

やればできると日本の教育は教える。そこでできない人は自然と脱落し淘汰される。やればできると教えられてきた日本人、いや教育自体がそうなっているのか。

 

とにかく私自身やってもできないことがある、努力したら道は開けるという言葉は実は本当ではない、ということを実感した瞬間に急にむなしさ、人生に対して悲壮感が出てきた。何をやっても成功しないのではないか。

 

次挑戦しても失敗か。どうするのだ。「死」というものも当然意識する。何度も差別され、気持ち悪がられれば、人間いじけたくなるものである。精神的に一人になったときふと「死」を意識するのではないか。自殺しようと何度思った事か。ふと首をつりたい、手首をナイフにあてている自分がいる。

 

それでも「死」ななかったのは、自身の可能性をまだどこかで信じているからだ。このままでは終われない。人間は完ぺきではないのだ。人の欠点を指摘し必要以上に誹謗中傷してくる人間の多いこと。気にしない。完璧でないから私は努力をする。完璧でないから日々を積み重ねる。

 

最後に松下幸之助の言葉の中に「適正に従って運命を開く」という、言葉がある。これからは自分の適性を見極め運命を確実に開いていきたい。