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前を向く

脇見恐怖症、対人恐怖症、視線恐怖症の私が書いた、私なりの神経質との向き合い方です。参考になれば幸いです。

思うままに書きました。ツラツラツラツラ・・・・・

明けましておめでとうございます。

年が明けて、もう三か月が過ぎました。時間が過ぎるのがはやい、はやい。

 

仕事をしているとあっという間に時間が過ぎますね。

 

最近感じること、思うことをツラツラと書いていきますね。文章は無茶苦茶ですが、我慢して読んでください(笑)

 

いきなりですが、神経症の人、脇見恐怖症の人にとって、外の圧力に負けないことは特に重要になってくると思うのです。

 

私はよく外国人等、海外の方たちと仕事をする機会がありました。簡単なミーテイングも行うのですが、海外の方は話す相手の眼を見る習慣があるのか、日本人に比べて相手の眼を見てよく話します。私にとって最も不得手の機会でありました。とても辛くしんどい時間でした。

 

というのも、毎回、海外の方たちと仕事をする前に思っていたことですが、「変に思われるのではないか、視線は大丈夫かな」と思っていました。

会議のことも頭にもちろんありましたが、仕事の内容よりも「視線」に注意が行き過ぎていました。

この時の「視線」は特に自身の「視線」についてです。

 

 話が変わるのですが、私は認知行動療法を受けていた時期がありました。半年間ほどカウンセラーの方と話して、私の視線はおかしくないか等、チェックしました。

実際にビデオカメラで何度も撮影し、複数の方に協力してもらい、脇見恐怖症になりそうな場面を作ってもらい、撮影を行いました。

 

私の「視線」は普通でした。みんなのものと変わりありません。

 

 

けれども、カウンセリング以外の時間は確実に脇見をしているという確信がありました。職場の上司に注意を受け、取引先の社員に変な人扱いをされました。

「視線が、目つきがおかしい」と。

 

 

今になって振り返ると、周りの言葉に過敏に反応し過ぎていたかもしれません。そして、長い間、自身の「視線」について考えてきました。

 

 

この考えるという時間がとてももったいない、神経症を悪化させる原因を作ってしまったと私は思うのです。

 

私は15年ほど自身の「視線」について考えてきましたが、これだけ考えると、敏感になるのは当たり前です。

そして、他人は、社会は少しでも身なりや、そぶりがおかしいと批判したり、話のネタにします。

 

そういったものを、いちいち気にしないことです。繊細な神経症者にとって、脇見恐怖症者にとっては、酷なことを言っているのかもしれません。

けれども、私たちの視線が普通だとしても、批判する人、話のネタにする人は確実に存在します。

 

 

私が学生のころと変わったなと思うところは図太くなったなということです。少々脇見をしても、他人を不快にさせる視線だったとしても、気にしなくなりました。陰で言われているだろうなと思われても、堂々としています。

 

 

もちろん、どうしても、辛いしんどい方もおられると思います。そういう時は、とにかく目の前のやるべきこと、神経症、健常者にかかわらずやるべきことをしてください。

 

 

人それぞれ、役割はあると思います。やるべきこともあるでしょう。やるべきことをやった、行動した神経症の人と、自身から逃げた人間とは、やはり差がどうしてもついてしまいます。

 

 

私は現在も敏感な自身の視線と闘いながら日々を過ごしています。以前に比べたらだいぶ落ち着いてきましたが。

 

 

周りの言うこと、陰口などに屈しない、外部の圧力に負けないよう、今日も耐えることができたら、明日も耐えることができると思います。

 

 

本日はこれまで。まとまっていない文章で申し訳ないです。ありがとうございました。